だいたい、死ぬつもりならば使用人に紅茶を運ぶよう指示など出すはずがない。むしろ逆に部屋へは近づかぬよう命令するはずだ。
ただの茶番だ。くだらない女の悪足掻きだ。わざわざ病院へ見舞うほどの価値もない。
陽翔は不愉快そうに舌を打つ。だが、すぐにその口元が緩む。
意識を回復した華恩が果たしてどのような言い訳を述べるのか。
「おもしろくなってきた」
空を見つめる陽翔の顔が、今度ははっきりと笑ってみせる。
ざまぁみろ、山脇瑠駆真。お前はこのまま怨思や憎悪にもみくちゃにされて、世の中から爪弾きにでもされてしまえばいい。
大迫美鶴を護ってみせる? お前のようなクズみたいな存在に、女一人が護れるもんか。どうせ大迫にも嫌われて突き放される。唐渓からも追い出されて、取り巻きみたいな女子生徒たちからも愛想を尽かされて、友達もいないお前は惨めに一人で彷徨うんだ。
そうやって、真っ黒な闇にでも突き落とされて、お前こそ自殺でもして死んでしまえばいい。
「つまり私は」
美鶴は床に座り込んだまま、瑠駆真を凝視する。
「つまり、私の謹慎は全部あんたのせいだって事じゃない」
瑠駆真は軽く唇を噛む。美鶴の言葉は、間違ってはいない。瑠駆真にその気がなくとも、原因の一端を担っているのは瑠駆真だ。
「そもそもは、あんたとその廿楽華恩っていう副会長との問題ってワケでしょ? 私には全然関係ないじゃない」
「もっともだよ」
「ずいぶんとあっさり認めてくれるわね」
捕まれていた左手を強引に引き抜き、美鶴は瑠駆真を睥睨する。
「大して悪いとも思っていないって事かしら?」
「そんな事ないさ」
遠慮もなく責めたてる美鶴の言い草に、瑠駆真は落ち着きを払って答えた。美鶴がこのような態度に出るのは、なかば予想もしていた。動じるような事ではない。
「君には、本当に悪いと思っている」
「だったら、今すぐに私の謹慎を解いて」
「それは無理だ」
「無理でもなんでも、解いてもらうわ」
「もう君の謹慎は解けない。君どころか、きっと僕も唐渓へは通えない」
瑠駆真の行動は、廿楽の激高を招いたに違いない。どのような仕打ちなり報復が待ち構えている事か。
「もう僕たちは、唐渓へは戻れないんだよ」
「そんなの勝手だ。私には関係ない」
美鶴はピシャリと言い返す。
「私には関係ない。私が唐渓を去る理由はない」
ひたすら相手を睨みつけ、これでもかと責めたてる。だが―――
「そんなに、唐渓へ戻りたい?」
美鶴は思わず瞳を見開いた。その表情を見逃さず、瑠駆真は相手の顔を覗き込むように首を傾げる。
「唐渓へ戻る必要が、どこにある?」
問われても、美鶴には即答できない。
唐渓へ戻りたいか?
当たり前ではないか。苦労して入学し、周囲の蔑視に耐えてここまで通ってきた学校だ。なぜ今さらここで退学せねばならないのか。
そう言い聞かせるのに、どうしても答えることができない。
自分は、唐渓へ戻る必要があるのか?
「今の君には、もう唐渓に通う必要なんてないんじゃないのか?」
答えぬまま微かに視線を泳がせる美鶴に、瑠駆真は瞳を細める。
「君は、なぜ唐渓に入学したんだ?」
「それは…」
そこで美鶴は口ごもる。
憧れて入学したワケではない。むしろその逆だ。
里奈を見返してやりたいと思った。親に勧められながら里奈が頑なに進学する事を拒否する学校に、入ってやろうと思った。
入学してからは、とにかく周囲と対立する事だけを考えてきた。調和しようなどとは、微塵も思わなかった。
「田代里奈の事は、もう忘れてもいいんじゃないのか?」
瑠駆真が重ねて問う。
確かに、里奈の裏切りは誤解でもあった。今さら、拘る必要はない。
「唐渓に通っていて、何が楽しい?」
楽しい学生生活?
そんなもの、最初から期待はしていない。期待なんてしていなかったけど―――
「もうさ、唐渓なんて、辞めてしまおうよ」
「辞めるなんて、そんなっ」
そんな事、考えた事もなかった。
確かに楽しくはない学校だが、辞めようとは思わなかった。むしろ、退学させられぬように、常に努力していた。浜島に嫌味を言われながら、それでも文句を言わせぬよう、成績も保ってきた。
なぜか?
それは――― それ以外にやる事がなかったから。
朝起きて、学校へ行き、勉強をして放課を迎え、駅舎へ向かい予習と復習、自宅に戻って予習と復習、そして就寝。それが美鶴のすべてだった。それが毎日の、生き甲斐のようなものだった。他にやりたいと思う事もなかった。唐渓の他の生徒を見下し、見返す事だけを考えて毎日を生活してきた。
それだけだった。美鶴の毎日は、それだけの毎日だった。
|